文・イラスト : 玉手峰人

私が最初に岡村靖幸と出会う2日前、10年もっと前の昔のことだ、同居していた友人が言った。

「2日後、新潟から目つきの悪いヤツが部屋を探しにやってくる、しばらくのあいだ、ワシらの部屋に泊めてやって欲しい。」

もちろん、それが岡村靖幸である。が、私はそいつの名前さえ覚えなかった。郵便貯金のポスターのプレゼン用カンプ(*1)で忙しかったのだ。

2日後、カンプ締切の前日、デザイナーの私は3枚のB全(*2)の絵を塗りたくっていた。すでに壁や床や手は絵の具だらけだったが、ボードだけはちっとも絵の具がのっていなかった。締切は迫る。絵はできていない。

そこに目つきの悪い兄ちゃん入場。たしか、最初の会話は私からいきなりこうだ。

「君、絵、描ける?」
「まあ、上手いっすよ。」
「じゃ、このセルリアンブルー・・・いや、青色・・・をバックに塗って、あと中央のオッサンはこっちの肌色・・・」

知り合ったばかりの我々はコートも(冬だった)脱がずに黙々と “家族みんなで郵便ちょきん” の絵を描き続けた。兄ちゃんの手が絵の具まみれになった頃、彼はオカムラと名乗ってダルマ(*3)を差し出した。

はじめてそいつがオカムラという姓なのがわかった。1980年代半ばのことだ。

が、その頃にしたって 「田舎から音楽で一旗あげようと裸一貫で出てきた野望に燃える青年」 というシチュエーションは大時代的であったが、そのぶん兄ちゃんの根性は座っていた。並のヤツとは目つきが違っていたというわけだ。でも我が家の3人(3人で同居していた)にとっては当時、ただの目つきの悪い兄ちゃんであった。

我々には人を見る目が無かったのだ。

以来十余年、私はずっとデザイナーであり、オカムラは岡村靖幸になった。しかしながら、最初の1日を除いては仕事での(*4)付き合いはない。混じりっ気なしの友人(*5)である。

彼の音楽的立場に対して私は素人のファンだし、彼の仕事ぶりを(ステージ以外で)見たことはない。スタッフの皆さんとも、オカムラの音楽の友人とも、ファンクラブの方々ともちょっと違うポジションだ。そんな立場でこの雑文を書かせていただいている。

皆さんがそういうポジションの人間が見た岡村靖幸の一面に興味があれば、もう少しつきあって欲しい。

前のアルバムが出た頃のこと。私は専門学校の講師もしていて、学生の一人が遊びに来ていた。

夜、いきなりオカムラが遊びに来た。

「学生さんが来てるけど、気にしないであがってよ。」
「おじゃまじゃないっすか。」

オカムラはいつでも礼儀正しい。しかし、部屋にあがってぐにゃっと笑って(*6)

「玉手さん・・・学生さんって女の子じゃないっすか。」
「せ、先生は何もしてないぞ。」
「・・・ふ~ん。」

と、絶妙の間を取る。んで、ぽつっと

「玉手さん、僕の『家庭教師』みたいだ。」

これにはかなり驚いた私。

「あの歌の主人公は君じゃないの。」
「僕は先生なんてやってないもん。玉手さん汚(けが)れてる(*7)なあ。」

彼の歌は、彼を主人公とする彼のメッセージだと思っていた私に、このことは新鮮だった。もちろん彼自身が主人公と思われる歌がないわけじゃない。でもオカムラは自分のことを単にぶちまけているだけのアーティストではなかったわけだ。

やるじゃん。彼はメッセージをベストの形で伝えようと色々なアングルや手法だので悩んでいるプロフェッショナルの アーティスト(*8)だったのだ。(それは後にアルバムの推敲に3年かけていたことでもわかったが)

でも『家庭教師』で良かった。『聖書』の35の中年と言われたら立場なかったものね。

曲遊びをやる。(*9)テーマを決めて、例えば 「エスキモーのクジラ捕り歌」 とか 「60年代ミュージカル」 とか 「ど演歌」 とか相手に振って、その場ですぐそれらしい作曲、演奏、さらに作詞もするのだ。インプロビゼーションと言えば何かすごいことをやっているような気もするが、まあ即興、要はノリ一発のでまかせである。ミュージシャンは皆でそんなことを普通にやるのかもしれないし、やらないかもしれない。知らない。

とにかくオカムラはそういうのが好きだ。少なくとも得意だ。

「じゃ次、玉手さんクイーン風、ほら、はやく。」(*10)
「違いますよ、ファンキーってのはこうやるの。」

止まらない。あれこそが芸というものだ。いや、待ってくれ、ここはオカムラの芸を誉めたいんじゃない。

何が言いたいかというと、ライブ後半でよくやっているアレのことだ。バンドが下がって、彼ひとり残りキーボードやギターを手にして松田聖子やキャンディーズなんかを気の向くままに演奏している岡村靖幸、あのコーナー。

ひょっとしたら、ライブの本番に向けて血のにじむような練習をしてるのかもしれない。でも、思うに、そんな気はしない。全然しない。本人に聞いたことはないのだけど、あれは間違いなく 「ノリ一発」 だ。おんなじですね 「曲あそび」 と。即興好きのオカムラにしてみれば、聴いたことのある曲をやることなど、たとえ武道館だろうが造作もないはず。

私は、ライブであれを聴くたびに思う。「ああ、気持ち良さそうにとばしてるな。」

カラオケに行っても同じだ。(*11)でたらめにリモコンを押し、かかった全然知らない曲(*12)にオリジナルメロディーを勝手に付けて歌いまくる。これは私も好きなので、結構付き合う。マネージャーの上野さんと行った時もやったし、バンドメンバーの松井さん(*13)と行ったときもやってた。要するに、いつでもやってるのだ。時々、踊ったりもする。

静かにしているのは、私が 「岡村靖幸」 を歌っている時だけだ。そんな時は 「あ、この伴奏、コードが違ってる。」 とか、「誰がカラオケに入る曲のセレクトをしてるんですかね。」 と人事(*14)のようにつぶやいている。やはり、オカムラはカラオケに行っても岡村だ(*15)。

アーティスト岡村靖幸については皆さんの方がお詳しいと思う。でもオカムラ個人については、もちろん部分的にではあるが私も少しは詳しい。ちょっとした思い出を書き飛ばしたこの雑文とイラストではあるが、皆さんの岡村イメージを壊さないことを祈るのみである。

ネタはまだまだある。ご意見ご感想を会報の 「DATE係 DATTEコーナー」 宛に送ってほしい。(評判が悪いとコーナーが消えていきますので)次回(が、あるとして)タイトルは 「友人の不利」。オカムラはとんでもないヤツだ、という話だ。

だって・・・

 

補注

*1
「コンプリヘンシブ」 の略。広告制作にあたって、本番前に作る見本。音楽だとデモテープか?

*2
とにかくでっかい絵。普通の週刊誌サイズがB5。その倍の大きさでB4。・・・どうでもいいよね・・・

*3
「サントリーオールド」 というウイスキーの俗称。オカムラはその時そういう表現を使った。彼はウイスキーは呑まないことを考えると結構気を遣っている。ダルマという呼び方は、10代の青年としては背伸びしてなくもない。

*4
この文章だって、無料だい。

*5
私の方が結構年上なので、友人というのは語弊があるかもしれない。著名な音楽家になっても敬語を使ってくれるオカムラが、私の横でひとの電話にでるときも 「いま友達といるんだ」 「いま先輩の所にいるんだ」 「世話になった人が遊びにきている」 と。結構ワケのわからない関係ではある。

*6
ピンクの 「靖幸」 の綴じ込み連続写真の一番右のブルーのやつがこの感じだ。ちなみに、このとき私は一人暮らしなので、オカムラの発言は正当である。

*7
この単語は 「勉強」 と並んでオカムラが使いがちな単語だ。(プライベートでもオフィシャルでも)さあ歌詞を思い出そう。でもこの分析はまたの機会に。

*8
彼はいま 「20代のまんなか」 ではないしね。

*9
仮に 「曲遊び」 と書いたが、我々はこれを何と呼んでいるか思い出せない・・・「玉手さん、勝負しましょう」 とか、そんな風に始まるような・・・気がする・・・

*10
私もやらされるのだ。一度、ホームビデオに撮ったこともあった。このときは、本文のアタマに出てくる 「同居していた友人」 と三人で盛り上がった。

*11
関係ないが、カラオケでここの所、岡村が増えてきて嬉しい。まだ岡村孝子の方が多いけど。

*12
知ってる曲がかかったら入れ直しだ。

*13
「自動演奏の松井」 さん。

*14
他にも 「僕の曲も結構ありますね、ありがたいなあ。」 などと比較的謙虚なことも言う。

*15
ステージと違うところもある。歌うときはマイクを使わないところだ。「腹式呼吸ですよ」 と、でかい地声でガンガン唄う。決してマイクを持たない。この辺、プロですね。

 

DATE Vol.37(1996 aug): DATTE part.2 へ