文・イラスト : 玉手峰人+栗原正己(コミック原作)

友人のふり

栗原を紹介しておきたい。前回DATTEで 「私と同居していた友人」 の名だ。彼はミュージシャンで、仕事で地方に行った時、仕事がらみで 「東京に行きたいんだけど」 と声をかけてきたのがオカムラなのだ。当時私と栗原、そしてもう1人とあわせて3人の男が吉祥寺のマンションにがさがさと住んでいて、そこへオカムラが毎夜遊びにくる、というのがワシらの吉祥寺時代の基本フォーメーションであった。つまんないと思うけどこの構造はわかっておいてね。

さて、今回のイラストコミックは栗原原作である。彼は美大出身のくせに面倒がって絵を描かないので、私が代筆することにする。ところでこのコミックのテーマは 「豪快なオカムラ」 である。今回、文のほうもここから始めよう(すぐ 「友人の不利」 になるから待っててくれ)。

誰だって大なり小なり非常識である。しかしアーチストという属性は条件付きではあるがこの非常識を許されている。大文豪が家事全般からきしであったり、大画家が病的な人間嫌いであるなどのハナシを聞くと 「ああなるほど」 「アーチストだからしかたない」 と許す部分を我々は持っていて、この非常識…言い換えるとカッコ良い社会不適応性は迷惑レベルと作品レベルのバランスのもとに容認されている(*1)。(少なくとも私は許す!)さてオカムラの出番だ。

何人もの音楽家と普通に仕事をしている栗原に言わせるとオカムラはこの傾向が一番すごい。

「○○だって××(*2)だって宅急便の手続きはもちろん銀行振り込みだって出来る。でもオカムラはMacソフトのバージョンアップはおろか速達さえ出せないんじゃないか」

「うん…対人もすごいぜ…このまえ寿司屋で店主にやみくもに花魁と娼婦の違いを質問していた」

「だいたいあいつは待ち合わせって単語の意味(*3)しってんのか?」

という感じだ。もちろんスタッフに 「これたのむよ」 と振っているオカムラの姿はしょっちゅう見ているし現実社会を生き抜くにはそれでいいのだろう。YASUYUKIMAN のエピソードはの多くはそんなオカムラを活写しているのだと私は思う(あれ、意外にノンフィクションが多いと聞く)。もちろん私達といる時もオカムラは非常識をやる。非常識とか社会不適応性とかでは大仰なので、ここで 「豪快さん(*4)」 と呼ぼう。

最近派手だったのがタクシーでスペイン料理だったかを食いに行った時のこと、彼は小型の生ギターをハダカで持ってきた。スタジオ帰りにそのまま楽器を持ってきてしまったわけではない!あきらかに自宅からわざわざ持ってきたオカムラなのだ。

運転手さんが 「どちらへ」

岡 「参宮橋関係へ」

玉 「ところでそのギター…」

岡 「ああ、こういう時にちょっと便利なんですよ」

玉 「こういう時って、便利って、あ、おい車内でそん…」

岡 「ビートルズですよ。玉手さん好きでしょ」

玉 「うん!いや、そういう問題じゃなくて…ちょっ」

岡 「In my life I’ve loved them all ~」

玉 「うっわー」

岡 「はい玉手さん。うた!」

玉 「あ…Got to get you into my life …」

岡 「いい感じっすよ」

玉 「When I was younger あ、運転手さん、ここ左、~ then today」

岡 「楽しいっすね」

玉 「Help !」(*5)

ちなみにタクシーを降りてからも食後もこの 「流しの二人(*6)」は、ぐしゃぐしゃ歌を唄いつづけたという…。

ああ、友人やってて損した。

オカムラの 「豪快さん」 ネタを続けよう。この夏、ワンフェス(*7)に行ってきたが、大きめではあるがたかだか体育館みたいなもんのなかで、何回も何回もヤツとはぐれた。人は多いし作品に見入っているとはぐれてしまうのはムリないが、彼はじっと見入っているかと思うと突然早足で別のコーナーに飛んで行く…(*8)携帯電話でようやく見つけて、またはぐれて、の繰り返しであった。不適応者は集団行動(*9)に向かない(猫という生物単位がそうであるように)。

次は栗原の証言だ。ひる、めし屋(*10)に入る前に手持ち無沙汰に古本屋で本を買う。ここまでは珍しいことではない、読書家のみなさんならわかると思う。で、食事が済んで読み終わった本をその場ですぐ売る。これがオカムラだ。

栗原談を続ける。東京へ来てそんなに経っていないころのオカムラは音楽器材を買い込んだ。デビューの見込みもエピックソニーとの繋がりもないただの貧乏青年が、バイクを売ってまで、だ。

やりかたが豪快(*11)で、デッキをはじめとして300万くらいの器材を借金してどどどっと買う。シモンズ(*12)まで買う。やはりオカムラだ。これらの豪快さん中に我々は彼を責めることもあるがオカムラは悪びれもせずあやまったり説明したりする。彼としてはごく自然な行動なのだ。たとえば 「器材買いまくり」 の時は自分を追い詰めるための背水の陣だった、と。

だから栗原・玉手はいつも思う。
「オカムラはミュージシャンになれてほんっとによかった(*13)。もしダメだったらこいつは…」

さてDATTEのコーナーへのおたより(*14)が少ないの。前回はみんなゲリラプレゼントのついでに申し訳に感想を書いてくれている。でもありがとね。

「自分の知らない岡村を教えろ」 という意見が多く、これはまあ今のままいくとして、「岡村の日常のこと、食い物とか見ている映画のことを教えろ」 というご意見もあった。でもこれは私の専門外(*15)だ。

「あなたは何を食べるのを好みますか?」

「はい、私は寿司をしばしば食べるのを好みます」

「それはたいへんよいですね」

「しかしバーボンソーダは、より少なく好みます」

こんな中2英語ニュープリンスリーダーズみたいな会話はしない。オカムラと私ならこうだ。

岡 「玉手さん、こんど料理勝負しましょう」

玉 「素材は同じものでやる?それとも買い出しから?」

岡 「そのへんは自由でいいんじゃないすかね」

玉 「オカムラは炒めモノが得意だから、俺は外してシチューで勝負したいね。あ、栗原(*16 )が煮物強いそ!」

岡 「受けて立ちましょう。勝ちますよ、僕」

玉 「言ったな!あとは審査員と審査方法だが」

…、こういう展開になってしまう。

こんどこそ岡村イメージをこわしてしまっただろうか?感想・要望はDATEのDATTE係まで。

ではダメ押しに栗原の言葉をまとめましょう。オカムラが豪快さん実行中にいわく、

「オカムラだからしかたない」 だって!

 

補注

*1
三倍速の早送りではしょってまとめたのでいささか乱暴な結論になっているが、ひとつ言っておけば 「アーチスト」 というのは特定の人種そのものではなく、人の持つ性格の一部と考えようね。オカムラの出番が減るとマズいので誤解は恐れないことにする。

*2
本人の名誉のために名は伏せるが、さねよしいさ子ともりばやしみほであることは疑いもない。

*3
私が以前、NHKの近くに事務所を持っていた頃、オカムラは最後までついに自力で事務所に来ることができなかった。何回も訪れているのに、だ。「玉手さん、今NHKまで来たんですけど、どう行くんでしたっけ」 これは私が今の自宅に引っ越した当初も変わらず。たしか4回くらいは私が近所まで迎えに行ったり、携帯を押し付けられたタクシーの運転手さんに道順を教えたりしていた。ちなみにオカムラは方向感覚は断じて悪くない。些細なことに興味が無いのだ。…豪快…

*4
栗原はオカムラのこうした美質をこのうように呼ぶ。同名の漫画が語源。© 泉 昌之 「豪快さんだっ!」

*5
面白くまとめるために、また 「友人の不利」 というテーマに合わせるために玉手の反応リズムを常識人っぽく描いているが、ホントは結構楽しんでいる。

*6
もしこの連載が続いていれば、次回のイラストコミックはこいつらが唄うところから始まる。カラオケボックスがまだなかったころのカラオケスナックがファーストシーンだ。

*7
ワンダーフェスティバルのこと。オリジナルのプラモデルを中心とした展示会…知っている人にはフィギュアのコミケという言い方でいいね?コスプレもいる。有明のでっかい会場でやってた。エヴァンゲリオンだらけだった。オカムラは輸入物のサンダーバードやナイトメアビフォークリスマスに見とれていたようだ。

*8
自然科学ではこれをブラウン運動という。

*9
彼に一番向かない社会集団行動は 「戦争で兵隊さんをやる」 ことではないか?「玉手さん、僕、ちょっとわかんないんで近接対戦車用無反動砲撃っといてくださいね」 とか…戦争すりゃすぐ負けちゃうよ。

*10
吉祥寺の寿楽という中華料理屋での話。正面に古本屋があるので、オカムラはこの本を買い、そして手放すまで30メートルと歩いていない。(現在はこのロケーションではないが)これってお金を払っての立ち読みじゃないか!

*11
栗原 「豪快だというのは金額もだが、買い方もある。僕なら収入や採算を考えながら、器材を調べに調べ、しかもすこしずつ順に増やしていくから。」

*12
シモンズ=電気ドラムの製品名、高い。当時だと50万くらいか? 自宅録音にデッキは必要をしてもシモンズはかなりマニアックな贅沢品。さすがにこれは貧乏に気付いたオカムラに売られてしまった。(使ったその場で売られたわけではないが)…あれば、太鼓。

*13
皆さんも岡村というアーチストが得られてうれしいと思う。それはワタシらも同じ、でもワタシらがもうひとつうれしいのはオカムラが豪快さんのまま生きることのできる場所をつかんだことだ。

*14
2枚だけだったよ。ちゃんとDATTEコーナー宛におたより下さったのは。

*15
私はDATE増刊号のピーチフル・デイズで岡村くんが紅生姜が苦手と初めて知りました。そこで、食事にいったとき彼の沖縄風お好み焼きを真っ赤にしてみました。ヤな顔をしてました。実験終わり。

*16
DANCHUという男の料理雑誌を私に教えてくれたのは栗原とオカムラだ。ちなみにオカムラ宅の台所と本棚とテレビの前は、いつも極端にちらかってる。

 

DATE Vol.38(1996 november): DATTE part.2 へ